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桜並木を見上げた夜には(2)

 いつものお気に入りの店とは違う喫茶店に美季はいた。複数の路線が交わる駅のある、企業やデパートなどが多く立ち並ぶ隣街の、大きな交差点を見下ろすことのでき るビルの5階にある喫茶店だった。彼女は本を読むこともなく、なじみの味には程遠いコーヒーをほんの少しずつ飲みながら、休日の昼間、横断歩道を行き交う人々を眺 めながらこの二日間に起きた出来事を思い返していた。
一体何だったのだろう。あの青年は誰なのだろう。
彼女は謎の青年に答えを問いただしてみせると決めたものの、どうやって彼を見つけるのかさえ思い付かず、途方にくれるばかりだった。ただこうして、偶然を期待し て人通りの多い交差点を眺めているのだった。
「いい人でも探しているの?」
 突然の背後からの声に美季が驚いて振り向くと、そこには高校時代からの友人であった芳恵の、以前とほとんど変わらぬ笑顔があった。卒業してからは会う回数がめっき り減っていたものの、美季にとって大切な友人だった。
「芳恵じゃないの、久しぶりね」
「ここ、誰か来る?」
 芳恵は悪戯っぽく向いの席を指差して言った。
「ううん、誰も来ないわよ。どうぞ」
 そう言って美季は彼女に席をすすめた。
「芳恵、昔のままね。前よりもずっと生き生きしてる」
 美季のその言葉に芳恵は「えへへ」と頭をかく仕草をして答えた。
「そうかなあ?美季だって」
 そう言いながらも芳恵は、一見笑顔を見せてはいるものの、学生時代の快活さの失われている美季の表情に戸惑った。
せっかく出会えた旧友に気まずい思いをさせてはいけないと思い、美季はちょうど隣のテーブルを片付けに来たウェイトレスを呼び、芳恵に聞いた。
「コーヒーでいいかしら?」
「うん」
 美季が彼女のコーヒーを注文し、ウェイトレスがテーブルから去ろうとしたとき、慌てた様子でメニューを手にした芳恵がウェイトレスを呼び止めた。
「待った!」
 芳恵は妙ににやにやした顔をして言った。
「昔は二人で帰りによくパフェ、食べたよね」
その言葉は、遠い彼方に忘れていた美季の思い出を蘇らせた。
「そうね。芳恵の家の近くの、若い夫婦だけでやっていた小さな喫茶店で、おいしいパフェを食べながらいろんな話をしたわね。まだあのお店、あるのかしら」
「やってるやってる。あたし、時々実家に行くときは必ずあそこでケーキ買うのよ。
 親も喜ぶけどさ、何よりあたしが食べたいもんだからね。でも最近じゃ、テレビなんかで紹介されちゃって、お目当てのレアチーズケーキ、売り切れちゃったりしてさ。 常連にとっては人気が出ちゃうってのも、いい迷惑よね」
「そうね」
 久しぶりの友人の、久しぶりのしゃべり方が懐かしかった。
「あのお店でさ、男の子の話とか、今考えると、ほんと、どうでもいいことを暗くなるまでずっとしゃべっていたわよね」
「あのう・・・」
「いけない」
「ごめんなさい、ええと、私はね」
   ウェイトレスを待たせたままでいることに気づき、二人は慌ててパフェを選んだ。
 美季に笑顔が戻った。学生時代もそれなりに友人たちとはうまくやってきたつもりだったが、親友と呼ぶことのできるほどの者はあまりいなかった。何でも話すことが できたのは、今ここで再会した芳恵くらいのものだった。
「あの頃はさあ、クラスの誰くんがどうしたとかこうしたとか、夢中になって喋ってたけど、あたしたち、勉強、ほとんどしてなかったね」
二人、顔を見合わせて笑った。
「みんな、どうしているかしらね」
「そういえばクラス会とか無いね。でもきっとみんな元気にやっているわよ。このあたしがなんとかなってるんだもん。人生、何とかなるものよ」
どうにかなることと、そうではないことがあるのだということばかり考え続けていた美季は、どう答えてよいかわからなくなってしまい、話題を変えた。
「今日は、お買い物?」
「ええとね、旦那待ちなんだ」
「待ち?」
「うん。今日ね、久々のお出かけなの。あいつここんとこ、ずっと働きっぱなしだったけれど、やっと今日休みがとれたのね。だから、たまには二人でお出かけしようっ ていうことになったんだけど、今朝電話がかかってきちゃったのよ」
「会社から呼ばれちゃったのね?」
「それが違うの。ボランティアなの」
「ボランティア?」
「そうなの。あいつったら仕事が忙しくてしょうがないのに、ボランティア始めちゃってさ」
言い方はぶっきらぼうだったが、芳恵が夫を誇りに思っていることは、彼女のまんざらでもない表情から十分に伝わってきた。
「どんなボランティアをやっているの?」
「あれよ、よくあるじゃない、親を亡くした子供の・・・」
芳恵は言いかけた言葉を止めてしまった。
「何?」
と言葉にした後で美季は気づいた。両親を失った子供たちのボランティアなのだ。かつての美季のような子供たちの。
「いいのよ、気をつかってくれなくても」
 それまでは忙しそうに口を動かしていた芳恵は、すまなそうに一言「ごめん」とポツリと言った。
まだ美季が少女のころ、父親の経営していた会社を解雇された男が家に火を放った夜を思い出した。美しかった母親の苦痛に歪んだ死に顔、最後の力を振り絞ってかけ つけた消防隊員に彼女を手渡した父親・・・。
もう何度も何度も繰り返し思い出し、夢にも見た光景だった。
「あたしったら、ほんとにごめんね」
 美季は我に返り、まだ神妙な顔をしている芳恵に「いいのよ」と答えた。美季のことを気にしてくれる、そんな芳恵が可愛らしくも思えるのだった。それに、美季と同 じ境遇の子供の世話をする活動をしている夫を持っているというだけで、うらやましくもあった。
芳恵は向いのビルの、この喫茶店と同じくらいの高さの部屋を指差してこう言った。
「あそこで今、打ち合わせしているの。今日は打ち合わせだけだからここで待っててくれっていうことになったの。ときどきあるのよ、こういうことは。そういうときは いつもここで待つことにしてるの。さっき、あたしに気づいてくれて、手振ってくれたのよ。今は、ほらあそこ、見えるかしら。一人、ホワイトボードか何かの前に立っ て説明してるような人がいるじゃない。あれよ。おかしいよね、偉そうにしちゃってさ。家にいるときは、くだらないバラエティ番組見てゲラゲラ笑ってんのに・・・」
 そのとき、芳恵の言葉を乱暴に遮るかのようにガラス窓に振動が走り、ちょうど芳恵の指差していたあたりから閃光が発したかと思うと、すさまじい爆発音とともに炎 が噴き出した。
爆発のあったとおぼしき部屋が半分むき出しになっていた。その部屋のガラス窓などが歩行者や車で混雑した道路に落下し、大勢の悲鳴がたちのぼってくるのが彼女た ちにも聞こえた。大量の書類だろうか、空中をひらひらといつまでも紙片が漂っている。喫茶店にいた客たちも何事が起きたのかと次々に、窓際の美季たちのテーブル近 くへと集まってきていた。
芳恵だけが固まったままだった。
「無くなっちゃった・・あいつのいた部屋・・・」
そう言って芳恵はようやく腕を下に下ろした。
「今日・・・」  視線を向かいのビルにさまよわせたままに芳恵が何かを言いかけた。
「今日?」
「今日、あいつ、自分の誕生日忘れているみたいだったから、プレゼント、驚かしてやろうと思っていたのに・・・」
美季は、呆然と立ち尽くす彼女を、そっと椅子に座らせてやることしかできなかった。
  

続く
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