〇月×日
「ただいま。今ね、お隣さんが」
休日の昼、家でゴロゴロしていると、買い物から帰ってきた妻が楽しげに報告をしてくる。お隣さんというのは、あれよあれよという間に完成した隣の新築に入居した夫婦のことだった。我々と同じ四十代手前のその夫婦にばったり出会い、挨拶をされたという。手ぶらで失礼、今度ちゃんとご挨拶に伺います、と丁寧に言われたこと、二人が二人ともモデル並みの美形だということなど。
「美形」という言葉にひっかかり思わず
「どれくらい?」
と聞くと
「どれくらいっていうか・・・」
そこから現在の人気実力派俳優から往年の海外の大スターたちの名がいくつも挙がって、昔の映画も結構いいよね、という話に長いこと脱線し、結局最後は「今夜、久しぶりにクラーク・ゲーブルの『或る夜の出来事』でも観ようか」ということになった。
今朝がたニュース速報で、太陽系外の惑星に何らかの知的生命体の存在が確認されたという大変大きな報道があったが、我が家では新たな隣人が越してきたということの方が大きなニュースだった。
〇月×日
帰宅すると、今日、お隣さんがお菓子を持って挨拶に来てくれたとのこと。そのお菓子、我々夫婦が以前から気に入っている、こじんまりとした美味しい洋菓子店のものだったため、好感が持てた。
夜のニュースで、先日の地球外生命に関する続報あり。といっても「最初の接触に成功」ということだけだった。一体どんな種族なのだろう。
〇月×日
帰宅すると、妻からお隣さんの話。午後、スーパーで奥さんとばったり。初対面のときは、髪の長い美人であまりに整った顔なのでちょっとコワいと思ってしまったけれども、話してみたらとてもフレンドリーでとびきりの笑顔になるから、こっちまで楽しくなり、ついつい長話になってしまったとのこと。
〇月×日
普段連絡の無い「情報部門」の友人が連絡をくれたので、仕事帰りに久しぶりに一杯。すると友人の口から驚きの話。
なんと、現在進行中の他星人との交渉チームに関わっているというではないか。
絶対に口外しないことを条件にいくつか教えてくれた。
「彼らは、多少の見かけの違いはあっても基本的には俺たちとそう変わらなくてね。友好的というか人懐っこいというか。だから最初の接触からその後のコミュニケーションも何もかもが順調だったんだ」
「大ニュースじゃないか。それで、その住民の技術レベルは?」
「地球よりは劣るけれど、いや、劣るっていう言い方も失礼かな。誰もが人格的にはとても豊かで思慮深い感じがしたからね」
「すごい種族と出会えたじゃないか。どうして発表しないんだ?」
「上層部はきっと、もっと交渉を進めて条約とか貿易とかの道筋をつけてからの発表にしたいのかもな」
「そういうものかね」
「でもよほどのことが無い限りいずれ細かい発表があるはずだ」
彼が言うのなら間違いないだろう。彼が最初の接触者であり、お互いの種族としての自己紹介、今後の友好関係構築に向けての話し合いまで進めたというのだから。そしてひと段落した今、一旦地球へ戻り上層部と今後の方針を確認した後、再び交渉に向かうという。
彼らの姿かたちについての画像は見せてはくれなかった。ただし
「昔からあるたくさんの侵略SF映画に出てくるような醜悪な姿では決してなくて、むしろその逆なんだ」とのことだった。。
どうせ近いうちに貿易がスタートするはずだから(彼らの星の特産物がまさに「この世のものとは思えない素晴らしい味」なのだそうだ)早く全てオープンにしちゃえばいいのに。それに「極秘」なんて言葉はとっくの昔のものなのに、と彼も不思議がっていた。
〇月×日
休日。洗車をしようと外に出たときに、お隣のご主人と顔を合わせる。確かに二枚目だ。ちょっと渋い二枚目。ナイスミドルというか。
はじめこそ堅苦しい挨拶だったが、お互いの車や家庭菜園のことなどを話していると、口数は少ないけれど、その決して多くない言葉のどれもが的を得ているのが印象的だったし、最初は難しいことを考えているような表情だったのが、やがてどこまでも高く澄み渡ったさわやかな空を思わせるような笑顔になり、まるでカレーか清涼飲料水のコマーシャルでも見ているようだった。
聞いてみるとご主人のヨウイチさんも公務員で、私が科学部門所属なのに対して、ヨウイチさんは交通部門所属とのこと。といっても車、電車、船、航空機に限らず宇宙船も含まれ、このところ急に輸送用の宇宙船の新造が増えて大忙しとのことだった。
そういえば情報部門の友人からその後の連絡が無い。すぐに発表があるはず、と言っていたのにそれも無いまま。こちらから連絡を取ろうとしてもなかなかつながらない。
〇月×日
隣家から食事会のお誘いがあったそう。いつもは立ち話程度だったので、ゆっくりお食事しながらお話しませんか?とのこと。
「行きましょうよ。あなた最近お仕事でいろいろ大変みたいだし。いつも難しい顔して」
友人との連絡がつかないままなのが気になって仕方ない。今朝の情報部門からの発表では、生命体の住民との交渉が中断していて、その理由について、彼らの攻撃で調査隊が全滅したという憶測もあるという。
一体どういうことなのか?
ついまたしかめっ面になった私の顔を覗き込んで妻が言う。
「お休みの日くらい、楽しみましょうよ」
いつもいろいろ気にかけてくれて、こういうときには気持ちを引っ張り上げてくれようとしている妻には感謝。
「よし。そうしようか」
「じゃ、早速レイコさんにお返事しておくわね」とスマホをいじくる。
〇月×日
食事会の日にちが決まったとのこと。楽しみだ。
〇月×日
「あなた、大変大変!」
当日の昼前、テレビを見ていると、慌てた様子の妻が帰ってきた。
丁度臨時ニュースがあり、現代の科学技術をもってしても食い止めるのが困難な全世界的な異常気象により近い将来、深刻なエネルギー及び食糧不足が発生する見込みなので政府が具体的な対策の検討に入った、という内容だったが、妻のニュースはもっと大事のようだ。まるで『奥様は魔女』のグラディスさんみたいな慌てっぷり。
「どうしたの?そんなに慌てちゃって」
「それがね、フルーツを買ってから」
これから始めるお隣さんとのホームパーティーのデザートにと買ってきたフルーツに続いてケーキも丁寧かつテキパキと冷蔵庫に入れていく。
「ほら、駅前の美味しいケーキ屋さんのケーキも持っていけば喜んでもらえると思って」
あの店は確かに美味しい。ケーキでも食べようか、というときはそのお店と、お隣さんが挨拶に持ってきてくれたところのものと、どちらにするかでいつも迷う。共に美味しく、顔馴染みになっているので。
「それでね、フルーツを買ってから行ったんだけれど並んじゃっててね。美味しいからしょうがないけれど」
確かに。あの店も夫婦二人だけで頑張っているから、一度にお客さんが何人か来るともうてんてこ舞い。ショーケースに並んだケーキはどれもが美味しそうだからみんな迷って余計時間がかかるし。
「でも、あのお店のケーキも食べてもらいたいじゃない?」
「注文はすぐにできたの?」
「うん。最初、一番後ろにいたけれど、奥さんが気付いてくれて聞きに来てくれたのよ。でも二十分はかかるみたいで。でもお隣さんたちにはどうしても食べてもらいたい味だし」
自分で作ったわけでもないのに食べて欲しい。贔屓にしている店の味を多くの人に知ってもらいたいと思う気持ちは私も一緒。
「それでね、オーダーだけしておいて、すぐそばの喫茶店でお茶でもして待つことにしたの」
「そうだったんだ」
「そしたらよ、あなた。ここからなのよ」
「?」
「コーヒーを頼んで、喫茶店にあった週刊誌を読んでいたの。そうしたら、聞いたことのある女の人の声がすると思ったら、お隣さんの声だったのよ。レイコさんよ。後ろのボックス席に来たの」
「一人で?」
「女の人と一緒よ。顔は見なかったけれどだいぶ親しそうだったな。昔からの友達みたい」
それがそんなに大変なことなのかと不思議だったが、妻の話によると
「だってレイコさんがこう言うのが聞こえちゃったのよ。これからの集まりにレイコさんの初恋の人を呼んだって。旦那さんに内緒で計画してるんだって。レイコさんだって気づいたときに、今日はよろしく、くらいは言っておこうと思ったけれど、言いづらくなっちゃって」
「そりゃそうだよね。でも、これから昔の恋人が来るっていうの?」
「うーん、初恋の人って言ってたから付き合ってたかどうかまではわからないけれど」
「おかしいよ。それで一緒にいたレイコさんの友達の反応は?」
「顔は見えていないけれど声でわかったわ。絶対にニヤけてたはずよ。声がウキウキしてたもの。確かこう言ってたわ」
「えーっ、レイコの初恋の人っていったら・・・。どういうこと?何企んでるのよ」
「えへへ。そうだ、パー子も来る?」
「だってあなたのうちとお隣さんの会なんでしょ。お邪魔じゃない?」
「大丈夫よ。お隣さんご夫婦、すごく感じのいい人たちだから。あなたならあの人たちもきっと打ち解けてくれるわよ」
「そうかなあ」
「そうかなあ、って言ったのか、その人は」
「そうなのよ。まんざらでもなさそうだったわよ」
「じゃ、来そうだね」
「うん、まあ、楽しそうな人だったからいいんだけどね」
「いや、そういう問題じゃなくてさ。途中から昔の彼氏だかなんだかが現れて変な雰囲気にならなきゃいいけど」
しばし沈黙。
手土産も用意してくれているし。ドタキャンするのもなあ。
それにしても、こういったことに頭を使うのはいつもの研究と違って新鮮だ。
「その初恋の人、最初から参加だよね?」
「途中からだって言ってたわよ。『午後には来ることになってるけれどいつもだいたい三時ごろには来るかな』って言ってたのを覚えてるもの」
「『いつも』来るのか・・・。面倒なことにならないのかな?」
戸惑う私に
「心配だったらその前においとますればいいだけよ。正午スタートだから2時間もあれば十分お話できるんじゃないかしら」
「それもそうだね」
私が優柔不断だから、スパッとものごとを決めてくれる妻には何かと助かっている。直接口にしたことは無いけれどこういうことに限らず、食事から服から何から何までの妻のサポートには日々感謝。おかげでこのところ仕事も順調そのもの。はかどりすぎて元のテーマから派生した新たな研究テーマを思いつき、仕事量が倍増しているくらいだ。いずれ正式なテーマとして上司に報告し、成果が出ればそれなりの報酬が出るはずだから、何かプレゼントをしよう。
始まってみると、さっきまであれこれ気を揉んでいたことなどきれいに忘れてしまうほどの愉快なホームパーティーだった。
妻が喫茶店で出くわしたというレイコさんの不思議なあだ名の友人、パー子さんもかなりの美人さんで、レイコさんがクール・ビューティーなのに対してパー子さんはホンワカ系美女。でもなんとなく、違うかもしれないけれど、どこかしらで会ったような。気のせいか。
手作りの美味しい料理に種類豊富なお酒、新たに知り合えた愉快な人たちとのおしゃべりを十分に楽しんでそろそろおいとましなければ、というたびにレイコさんとパー子さんが面白くて続きが気になる話を連続で繰り出してくるものだからなかなか帰れない。
でもこうして過ごすのはいつ以来だろう。毎日毎日国の機関で複雑極まりない調査、研究、実験、精査の果てしない繰り返しで頭がパンク寸前だったから、このひとときは至福の時間だ。
ついぼうっとそんなことを考えている私にみんなの視線が注がれているのに気づいた。何か、観察されているような。
レイコさんが口を開いた。
「ご主人、あのギターがさっきから気になってらっしゃるようだけど」
ああ、あのギターのことだったのか。この家に招かれてまず私の興味を惹いたのは、部屋の片隅にきちんとギタースタンドに立てかけられたアコースティックギターだ。年代物のようだ。ご主人?レイコさん?どちらが弾くのだろう。音楽話もできそうだ。
「そうなんですよ。興味ありましてね。いい音が出そうなあのギターはどちらが弾くんですか?」
「私はジャラジャラ何種類かのコードを鳴らすくらいだけど、一生懸命練習してるのはこの人の方よ」
ヨウイチさんが恥ずかしそうに
「それがなかなか難しいんですけどね。ご主人もギター、やられるんですか?」
「いやあ、やるってほどではないんですけどね」
妻が
「一生懸命練習していたときもあったんですけれど、最近はサッパリよねえ。あれだけ毎日いじくっていたのに、どこかにしまいこんじゃって」
するとレイコさんが
「あらあら。うちの人はパー子の旦那から教わって練習してるのよ」
私も教えてもらえるのだろうか。今日は不在のパー子さんの旦那さんとはどんな人なのかを尋ねようとしたが、先にヨウイチさんが
「丁寧に教えてもらっているんですが、物覚えが悪くて上達しないんですよ」
パー子さんが大皿からベーコンとキャベツのペペロンチーノを取り皿にたっぷり盛りながら
「いやいや、何をおっしゃるヨウイチさん。私とレイコがペチャペチャ喋ってるときに二人のきれいな演奏が流れてくると、いい雰囲気の喫茶店にいるみたいだもの。それに、いつもすごく楽しそう」
「そうかな?」
ご主人、まんざらでもない様子。
レイコさんが思いついたように私に向かって
「そうだ、ご主人も混ざってもらって、トリオでやってみたらもっと楽しいんじゃないかしら?」
「ああ、混ぜてもらえたら嬉しいですね。ところで旦那さんはかなりの腕前なんですか?」
「あらいやだ私ったら。いっちばん大事なこと、お二人にお話してなかったわね、ごめんなさい」
キョトンとしている私たち夫婦に
「パー子の旦那はね、プロのギタリストなのよ」
「ええっ!」
妻と二人でビックリ。
「ほんとは今日もパー子と一緒に来てもらおうと思ってたんだけど、残念ながらツアー中なのよね?」
大きめのブロッコリーをかじって
「うん、今は海外だからしばらくは帰れないかな」
またまたビックリ。
「そうだったんですか。それにしてもプロのミュージシャンの奥さまって、どんな感じなんですか?って変なこと聞いちゃってごめんなさいね」
妻があけすけな質問をするが、私もそこは気になる。
パー子さん、ミートボール二つを一気に食べてから
「うーん、仕事が仕事だから、ずっと出かけっぱなしのときが多くて、家にいる時間が普通のおうちと違うかな。もう慣れっこなんですけどね」
レイコさんが
「パー子もよく頑張ったわよ。一生懸命に彼を支え続けてきたもんね」
「うん。でも今思えばあっという間ね」
妻が
「旦那さんと知り合ったのはいつ頃なんですか?」
ロールキャベツを実に満足そうに食べたパー子さんはあっけらかんと
「高校の同級生だったんですよ。あ、そうそう、レイコもなんですよ。三人とも吹奏楽部。それで、うちの人は今はギター一筋なんだけど、その頃はトランペットだったんですよ」
「あらまあ、そうだったんですね」
すかさずレイコさんが
「それでね、パー子が部活で旦那をつかまえた話が傑作でね」
「もう、やめてよ」と唐揚げを頬張りながらパー子さん。でもまんざらでもなさそう。
「いいじゃない、面白いんだから」
もうそろそろ帰らなくてはと思ったものの、気になる。
「パー子は彼にゾッコンだったんだけど、いくらモーションかけても何の反応も無くて、せっかく書いたラブレターも渡せなくてカバンに入れっぱなし。そんなのがずっと続いていたから見かねた私が、地区の音楽大会の本番直前の準備のすきをついてそのラブレターの中身そのものを彼の楽譜のクライマックスのページにテープでくっつけちゃったの。
ずっとずっと好きでした
今までも、これからもなんです
私のこの気持ち わかってください
受け取ってください
とかいう内容だったわ。
それで本番のステージで一番盛り上がる、彼のトランペットのソロ演奏になるところでその告白を読んだものだから、本当は一瞬の間が空くところで、妙に長い間、そうねえ、たっぷり五秒くらいだったかな、そのくらいの間が空いちゃって客席がざわめいちゃったのよね。あのときさ、客席から『ん、どうしたん?』っていうどっかのオヤジの間抜けな声が聞こえてきちゃったりしてね」
「あー、今思い出してもドキドキしちゃう」
そう言いながらマカロニサラダをたっぷり取り皿に。
「でもよかったわよね、あのときの彼のソロ、いっちばん良かったし。何よりもその後すぐ、パー子に振り向いてニコっとしてOKサイン、してくれたんだもんね」
酒のせいだけではなく赤くなったパー子さんが「えへへ」と照れる。本当に旦那さんのこと、好きなんだなあ。
「そんなことあるんですね」
感心しながらさてそろそろ、という顔で妻に合図したつもりだったがレイコさんの話は続く。
「でもデビューして安定するまではパー子も大変だったわよね。その頃のもっと傑作な話がいくつもあってね」
「もう、やめてってば」
そう言ってあさりたっぷりのクラムチャウダーを口にするパー子さんにかまわずレイコさんの話が始まる。
今では海外でも絶賛されるほどのギタリストとなった旦那さん。でもやはり最初の頃しばらくはお金に苦労したらしい。毎日ギターの練習に明け暮れる旦那さんをパー子さんが必死に働いたり節約をして生活を支えていたという。ある時期にはそのころ利用していたスーパーのレジの人たちに陰であだ名をつけられていたそう。
レイコさんがたまたまスーパーでパー子さんを目撃したときの話。
レジで商品のバーコードを読むときに、値引き商品は「ネビキシマス」という自動音声が発せられるが、パー子さんの買い物はほとんど全てが値引き商品だったので「ネビキシマス」が連発し、混雑してたため、店員が急いで次々と商品のバーコードを読み取らせると音声が追い付かず
「ネッ、ネッ、ネッ、ネッ、ネビッ、ネビッ、
ネッ、ネッ、ネッ、ネッ、ネビキシマス」
と、まるでラップ音楽のようになってしまい、ずっと笑いをこらえていた店員もパー子さんが店外に出たのを確認するや否や爆笑。同じく笑い顔の隣のレジの店員に
「来たねー、今日も、ネビッキ」
ネビッキ・・・。
ネビッキネタは続く。
「ネビッキ来たからさ、きっと野菜売り場の捨てるキャベツの外側の葉っぱ、減ってんじゃね?」
「絶対また無くなってるよ!」
「でもさー、あれ欲しがる人ってさ、ペット飼ってる人なんでしょ?ネビッキもハムスターか何か飼ってるのかな?」
「ネビッキはさ、自分で食べるんだよ。ハムスターとかいたとしても、焼いて食べちゃいそうだよね」
「えーっ、なんでなんで?」
「だってさ、知ってる?このへんの食べ物屋で大食いチャレンジみたいなのやってる店のほとんどでネビッキの写真が飾ってあるんだよ。どの店でも成功してるの、ネビッキくらいだよ」
「へー!ウケル!!」
「お店の人が言ってたんだけどさ、食べてる時の顔が「究極の無心」なんだって。空を見つめて黙々と食べてて怖かったんだってさ」
「なにそれ、ケッサク!」
さっきから、見かけによらずよく食べる人だな、とは思っていたが、そうか、このあたりの大食い女王だったのか。
感心している私にレイコさんが
「これは最近の話なんだけど、さっきの話の吹奏楽部の顧問の先生が亡くなっちゃって。私たちもお通夜に行ったんだけど、そのときの通夜振る舞いのお寿司がものすごく豪華でね。それを見たパー子が何て言ったと思う?『元を取らなきゃ』って言ったのよ。信じられる?」
またあるときは駅前の道を歩いているときに落とした五百円玉が転がってしまい、何と踏切の線路の溝に落ちてしまった。必死で追いかけたパー子さん、溝に手を突っ込んで五百円玉をしっかり握りしめたは良いが、掴んだままだと溝から手を出せない。諦めて手をパーにすればよいだけなのに。人々が行き来する中、一人かがんで溝に手を突っ込んでいる彼女を立ち止まって不思議そうに見ている小学生男子数人。そのうちの一人が
「お姉さん、何やってんの?電車来たら大変だよ!」
どうしても諦めきれないパー子さん。まさにそのとき踏切の警報機が鳴りだした。
「お姉さん、早く早く、何してんの?」
「だって五百円が」
「ええ?そんなの後で拾えばいいじゃんか。早く手をパーにするんだよ!」
周りの子も
「そうだよそうだよ。パーにするんだよ、パーにするんだ」
しかたなく諦めてパーにした手を溝から出して立ち上がった彼女を見て子供たちも安心したと思いきや
「パー子だ、パー子だ」
とはやし立てて踏切の向こう側へ去って行った。
それで「パー子」・・・。
すごすごと踏切から手前側へと戻ると、そこには一部始終を見ていたレイコさん。
「あれ、カオル?久しぶりじゃない。あんた何してるのよ、こんなところで。子供たちに『パー子』なんて呼ばれて」
「だって・・・五百円玉が・・・」
苦労したんだな。パー子さんは。いやカオルさんか。
酒も入っているし、おいしい料理に面白おかしい話の連続であっという間に三時過ぎ。
インターホンが鳴った。思わず妻と顔を見合わせる。
レイコさんは「キタキタ」と妙にうきうきした表情で立ち上がり、玄関へ。
「何が来たの?」とヨウイチさん。大丈夫かな?
来たものはしょうがない。何より散々楽しい話の連発で笑い続けたものだから、時間になったらおいとましよう、などという決意はとうの昔にどうでもよくなっていた。今はただ、いったいどんな男が登場するのか、それだけだっだ。妻も同じだろう。
玄関の方から「はい、どうもー」という能天気なレイコさんの声が聞こえてくる。
何が「どうもー」なのか。
私たちが顔を見合わせたままでいると、レイコさんがリビングに戻ってきた。
一人だ。
彼女は不気味な笑みを浮かべて手に持った包みを無造作に破り、中の物を取り出す。CDかⅮⅤⅮのケースのようだ。ケースを開き、ディスクを取り出しテレビの下のデッキに入れる。
さっきまで大いに盛り上がっていたのが嘘のような静けさ。パー子さんは何故かレイコさん同様、少しニヤけている。ヨウイチさんは何が始まるのかとレイコさんを見守っている。
やがてレイコさんがあえてゆっくりした動作で再生ボタンを押す。
大画面テレビに映し出されたのは、周りを緑に囲まれた学校の屋上。向かい合っている若い男女。男の顔は夕日がまぶしくて見えない。
男の神妙な面持ちの声。ゆっくりと。
「ここでの僕の、役目は、終わった」
何か言いたそうだけれど言葉に出来ないような女の表情。しばらくの無言のあと「闘技場」というタイトル文字が現れ、ゆっくりとホワイトアウトした後にホワイトイン。
まだ日の高い時間の学校の門。
校舎へと歩いて行く一人の男子学生の後ろ姿。
画面中央に現れる文字
三ヶ月前
がやがやした教室。そこへ女性の教師が入り、皆に声をかける。
「おはよう。今日はまず転校生の紹介よ。さあ、どうぞ入って」
そう促されて教室へ入る学生を、カメラは足元のアップから徐々に上半身へと映していき、教師の隣へ来たところで初めて顔を映し出す。その端正な顔立ちを。
「あっ!」
私と妻がそろって大きな声を出してしまった。
レイコさんは何故かうっとり。
パー子さんは笑い出す。
そしてヨウイチさんは・・・ただ固まっている。真っ赤な顔で。大画面テレビにどアップで映っている若き日の自分の顔を見つめて
「・・・。すっかり忘れていたよ」
レイコさんがヨウイチさんに向かって人差し指を立てて小さく左右に振ってみせ
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ。あなたの出演した学生映画を保存していた人がいたのよ」
往年の二枚目俳優のような顔はもはやグチャグチャ。恥ずかしさのあまり、泣きたそうでもある。
画面の中では、教師に紹介された転校生が「よろしくお願いします」と真面目に挨拶をしている。
ところがその「よろしくお願いします」というだけの科白が、どうにもこうにもぎこちないことこの上ない。もうちょっと自然に言えるのではないか、と素人でも思ってしまうほど。言えないけれど。
「そういうことだったのね!」
妻が思わず叫んだ。
私たち夫婦以外の三人が一斉に振り向く。ここは正直に言ってしまうしかないか。
「実は、午前中に妻が喫茶店でお二人の話をお聞きしていたんですよ」
すかさず妻が、
「隣の席にいてレイコさんの声が聞こえたんだけど、こちらから声をかけられなくて」
パー子さんがタンドリーチキンをぱくつきながら
「そうですよね。だってレイコったら『初恋の人も呼んだ』とか何とか言ったじゃない。それ聞いちゃったら入って来られないって」
「えへへ、そうだよね。ほんと、ごめんなさいね」
「それでか」
パー子さんが大きく頷き、ローストビーフを味わいながら言った。
「ご主人と奥様、なんだか途中でソワソワしてたように見えたから」
私が
「ええ。『初恋の人』が現れて微妙な雰囲気になったらどうしよう、とか考えてしまって」
ヨウイチさんがボソっと
「その『初恋の人』っていうのがこの映画の僕か・・」
その映画というのが、どうやら別の世界から来た者たちがこの社会に紛れ込んでいて、一方は人間社会を悪い方へ導こうとする勢力、もう一方の若きヨウイチさんたちがそれを阻止せんと送り込まれた者たち。両者の戦いは熾烈を極め、ついに残った二人が何も知らない人たちの暮らす小さな静かな町で最後の戦いを繰り広げる。そしてその事実を知ってしまった主人公の女性は・・。といった内容だった。
設定はデカいけれど、異世界の者たちが現実社会に溶け込んでいるという設定なので画面上では皆「普通」の格好。しかも「戦い」といっても念力みたいな能力で戦うらしく、相手と出くわしてもお互いに向き合ってウンウンしかめっ面で唸り、ピアノの不協和音が連打されるだけなのだった。
「これ、映研から『どうしても出てくれ』って頼まれたから出たけれど、演技なんかもちろんできないし。まいったなあ」
レイコさんがすかさず
「何言ってんのよ。今初めて言うけど、あなたの大学の文化祭でこれを見てズキュンときちゃったのよ。だって『理想の人』そのものだったんだもん」
パー子さんがキッシュの味に感心した表情で
「そういえばレイコ、ヨウイチさんと職場で初めて会った時も同じこと言ってたわよね。『初めてなのに、初めてじゃない気がする』なんて。本当だったのね」
「でもそのときはあの映画のこと、すっかり忘れていて。半年前かな。文化祭に誘ってくれた友だちにばったり会ったときに思い出したのよ!それまで職場の隣の課のこの人のこと、ずっとどこかで会ったような、とは思ってたけど、あのときの映画の人だってことがやっとわかったのよ。それでこの映画のダビングができないかって相談したら、その子の友だちに映画研究部だった人がいるから聞いてみるっていうから気長に待っていたのよね。そうしたらついに手に入ったから送るって連絡が来てね。それで今日このグッドタイミングで見せられたっていうわけ」
レイコさん、鼻高々。
そうこうしているうちに映画は進み、どうやらラストシーン。
オープニングの屋上。
「ここでの僕の、役目は、終わった。君たちを侵略しようと企んでいた奴らはもういない。でも、僕はすぐには帰らない。帰りたくないんだ。素晴らしくも、儚い人たちがたくさんいるから。それに」
相変わらず見かけは二枚目なのに不自然極まりない棒読み。
なぜかそこで言葉を切る。意図的な演出か。科白が飛んだのか。
カメラに向かってひときわ大きく目を見開いて
「もうしばらく、君といっしょに、過ごす時間が、欲しい」
レイコさん、うっとりした表情で画面を見つめている。テレビ画面のヨウイチさんと見つめ合っている。なんとも稀有な光景。
ヨウイチさん、酒が入っていなくてもきっと同じ真っ赤になっているだろう顔で
「本当にもうかんべん!。この場面、監督が熱血でまいったんだよ」
「そんなこといいの。あなた、カッコイイじゃない!私が相手役、やりたっかたわよ。『もうしばらく』なんて言わないでよ。私はいつまでもヨウイチと一緒にいたいわよ、地球が終わるまでね!」
一同大爆笑。
良かった。何一つ心配することなど無かったのだ。レイコさんも、ヨウイチさんのことが本当に好きなんだな。素晴らしいこと。めでたしめでたし。
まったく、昨日はスリルあり、笑いあり、美味しい手作り料理にお酒ありの愉快な休日を過ごすことができた。
昼頃から始めたのに、家に戻るときにはすっかり暗くなっており、空には月が二つ輝いていた。
人間、食べて飲んで笑っているのが一番体に良いのではないか。
ちょっと飲み過ぎたかな、と思ったけれど今朝早くにさっぱり目が覚めて近所の散歩までしたくらい。やはり楽しい酒は体に良いのだ。
何一つ文句の無い生活。今回の新たな隣人との出来事だけでなく、会社の上司、先輩、同期に後輩たち、以前からの付き合いのある近所の人々、古くからの友人、親類・・・。毎日が誰かとの楽しい時間で埋められている。仕事はもちろん、公私ともに他者とのふれあい全てにおいて良好な日々が続いている。
何らふさぎ込むこと、落ち込むことなど全く無い生活。いちいち何かあるたびに思い悩むことの無い生活。
散歩から帰った私は、コーヒーを淹れ、ソファにくつろぎデレビでもつけてみる。
ちょうど臨時ニュースが始まり、今しがたあなたにお話しした全てが崩れ去ってゆく事実に直面する。ついさっきポストから取ってきた封書のことも忘れ、ニュース画面に見入る。
今朝がた早朝に開かれた「閣議」によって、我が方の探査船を全滅せしめた好戦的な種族への復讐、そして我々の存続のために、その資源の奪取及び原住民を捕獲し、これを食料とすることが閣僚全会一致により正式に決定され、数か月以内に第一次遠征計画が実行に移されるという。
交渉の中断という報道はあったが、全滅とか好戦的とか一体どいうことか。彼の話では住民は友好的だったのではないのか。もはや何を言っているのかわからない。
私は愕然とする。
とち狂った地球政府の決定を何の疑問も挟まずにそのまま垂れ流すメディア。念のために確かめたが、どの局も似たり寄ったりの報道。そしてどのコメンテーターも肯定的なことしか言わない。いつも様々なニュースに対して警鐘の意味も込めて辛口コメントを発信していた名物コメンテーターの姿が無い。彼なら今回の件について痛烈批判するはずなのに。
がっかりだよ!
そもそも調査隊が全滅したというのは本当なのか。情報部門の彼は友好的だと言っていたではないか。彼との連絡はつかないまま。再度情報部に問い合わせてみると「そのような人物は存在しない」ときたもんだ。
彼の家に電話をしてみても、そこに「以前から住んでいる」という住人は全くの他人であり、彼の名を出しても怪訝そうな声で「そのような方は存じ上げません」と言われるだけだった。
これではっきりした。理想の社会だと思っていたものが見掛け倒しだったということが。我々の社会を統べる「偉い人たち」の決定が、他の星を征服して、住民を食料とすることなのか。反吐が出る。吐き気がする。
一見豊かで平和な社会の真実がこんなにも醜いものだったとは。ついさっきの散歩や昨日のホームパーティーのときの様子が思い出される。
庭いじりをする人、共同農園で仲間と野菜の世話をする元気な老人たち、ジョギングやウォーキングですれ違う人たち、ケーキ屋の陽気な奥さんにご主人、レイコさん、ヨウイチさんにパー子さん・・・。そしてまだ二階で寝ている妻。
愛すべき人たちの生活を守るべき存在であるはずの政府は、どうしようもない、腐りきった者たちの集まりだったのだ。
それにしても、人間社会というのは何千年もの歴史があるのだから、時を経るにつれて成熟し、後から生まれる人間はより快適な社会で過ごせるはずではないのか?これでは逆行ではないか。
テーブルに置いたままの封書は友人からの手紙だった。
これを読むころには事情が分かっていると思う。こんなことになって無念だ。悔しい。あの星の人たちは俺たちなんかよりも ずっと立派な人たちだ。それなのに馬鹿な連中が・・・。もう止めることはできない。
頼むから俺の言う通りにしてくれ。
決して誰にも異を唱えるな。誰にも。上司、同僚だけじゃない。普段接している友人、親戚、近所の人間、全てに対してだ。
政府のすることに異を唱えているのがわかれば、あらゆる場所に潜んでいる者から必ず報告が上がる。そして「処分」される。誰にも知られずにな。そういう仕組みだったんだ、この社会は。メディアだけじゃない。ありとあらゆる手を使って都合の悪いものを排除してきたんだ。
今回の件で初めて上層部を不審に思っていろいろ調べてみたら、かなりの量の「極秘扱い」のファイルを見つけた。解読はできたが、とてもではないが一つ一つについて伝えることはできない。ただ一言言えるのは、呆れたってこと。
上の連中には法律などというものは無いんだ。法の網にかかりそうなことがあっても、自分たちの意に沿わなければ、曲解して無理やり都合のよい方へ捻じ曲げる。警察組織の捜査にまで口を出し、身内の殺人までもみ消していたんだ。
上のやり方に真っ向から反発した俺に残された時間はもうあまり無いだろう。
この手紙もお前に届くかどうか。
いつかはわからないが、時が来るまで今まで通り、目立たないよう暮らすしかない。妙な真似をすれば奥さんともども消されてしまう。
無事を祈る。
ため息も出ない。
窓の外にはいつも通りの庭。それほど広くはないが、その一角には最近の休日の楽しみである家庭菜園と、以前から妻が育てている色とりどりの花たち。
今までこの社会は何もかもがうまくいっている、ほぼ理想に近い社会だと思っていた。何だったのだ。
どういう理屈があろうが、他の種族を絶滅させてよいわけ無いだろう。最善の道を探るという選択肢は無いのか?
自分の種族が他者への侵略者になるなんて。馬鹿だった。愚かだった。政府を信じきっていた自分は。
今すぐ全てを放り出してこんな社会から逃げ出したい。理屈ではない。こんな政権の下で生きていること、呼吸していることさえが嫌なのだ。まだ地獄の方がましなのかもしれない。
翻って、あなたの世界はどうだろうか。個人的に勝手に極秘扱いで研究所の設備を使い、国家の研究を応用した平行宇宙の存在を突き止める研究が進み、苦労の甲斐もあって次元の裂け目を作り出すことに成功し、微妙な差異はあるが、生存可能なことはもちろん、それこそ言語から何から社会全般や映画、テレビ、書籍なども含めた文化までもがこちらと酷似したあなたの世界を発見し、なんとかこうして文章としてこの手記をあなたに届けることができたのならば、いずれは私自身がそちらに行くことも可能ではないだろうか?妻も説得して一緒に連れて行くつもりだ。
あなたの世界はまさかこちらほどには酷くないはずだ。
一刻も早くそちらへ行きたい。こんな、上辺だけの、見せかけの平和に飾られた薄っぺらな世界から抜け出したい。
あなたの世界の全てを理解したわけではないが、こちらなんかより比べ物にならない素晴らしい世界のはずだ。
社会はきちんと治められ、その上に立つ者は虚偽などは決して述べず、物事をはっきり、正直に国民に向けて包み隠さず発表し、そして政策を実行に移す官僚たちに隠ぺい、改ざんなどの不正を働く者、ましてや身内の事件を権力を使ってもみ消しを図ろうとする者などは一人もいないだろう。
裏切り、ごまかし、争いごとなど無い世界。司法、立法、行政のすべてが正しく、誤りなく、全市民のために公正なものとして存在している世界・・・。