story13

帰り道の会話

「仕事っていうのはなあ、あたりまえのことをあたりまえにやってるだけじゃ駄目なんだよっ!」
 会社帰りの道を、あんなに暑かった夏が過ぎ、早くも冬が近づいてくることを実感させる涼しい夜風に吹かれながら気持ちよく自転車で走っていても、今朝の会議での課長 の憎ったらしい言葉が頭から離れない。
 徹夜やらせておいて何言ってやがる。大体、うちのスキルに見合わない、お門違いの仕事をてめえが取ってくるからこんな騒ぎになってんじゃんか。
「じゃあ何をすればいいんですか?毎日納期に間に合うよう必死こいてやってるだけで精一杯じゃないですか?」って思わず言っちゃったよ。みんなのいる前で、しかも立ち 上がって叫ぶように。と言っても実際は声が裏返ったりもしてみっともなかったけど。
 そうしたら「知らんよ、それを考えるのがお前らの仕事だろ、そのために金もらってんだろが。お前さ、ちょっともらい過ぎなんじゃねえのかぁ?お前のやったところ、ほんとにちゃんとできてんのかぁ?」
 なんて余計怒っちゃって、最悪の空気がずうっと続いちゃうんだもんな。
 でも我ながら情けないのは、あそこまで言い放ったら毅然としてればいいものを、自分の担当したところにどこかしら間違いはなかったよな、とかいうことを考えちゃうこ とだ。
 まったく、こんなことゴチャゴチャやってるヒマがあるんだったら、その間に仕事させろって言いたいよ。課長の後頭部にノートパソコンを振り上げて思い切り強くぶっつ けたいよ。角でね。
 電車沿いに続くサイクリング道路には部活帰りらしい学生連中や、自転車の前のかごに、パンパンにしたスーパーの袋を無理やり入れた主婦、ジョギングやウォーキングに 励む人たちなんかがいて、どの顔も暑苦しい夏が終わって、解放されたような表情が共通しているような気がする。同じ場所にいても、自分だけがじめじめした暑苦しい環境 にいつまでも閉じ込められている嫌な感じ。
 いや、みんな何事も無いような顔をしていても、それぞれ、それなりのストレスを抱え込んでるのかもしれないな。
 あの部活帰りの学生達だって、普段の宿題やらテスト勉強やらのほかに、レギュラー争いとかもあるんだろうし、悪い先輩に命令されてやっちゃった万引きがバレやしない か心配だろうし、買い物の主婦だって家計のやりくりなんかに毎日頭を悩ませたり、すっかり精彩を欠いた姿になり果てた旦那に幻滅しているんだろうなあ、きっと。PTAの飲み会の後に、ママさん仲間に誘われてついて行ったホストクラブで憂さ晴らししたときの楽しさがが忘れられずに、何度となくひとりで通うようになっちゃって、支払いもヘソクリだけじゃ足りなくなっちゃって、つい・・・。
 だめただめだ、すぐに楽しくない方に頭がいっちゃうよ。うっかりすると悪い方悪い方へと考えてしまいがちだ。自分がイライラしてるからって、道行く人々まで巻き添え にすることはないよな。この世の中で唯一自由な想像の中まで、嫌なことで埋め尽くすことはないや。
 よし、あそこの自販機で何か買って、この先のベンチでリフレッシュしよう。どうせ早く帰ってもロクなテレビはやってないし。大体最近のテレビなんか、とりあえずお笑い芸人を並べて面白いエピソードしゃべらせとけばいいと思ってるんだもんな。
 漫才師なら漫才だけをじっくり見せる番組を作って出してあげればいいのに。昔はあったなあ、名人劇場とかさ。
 ぽつんと佇んでいる自販機で缶コーヒー(ブラック)を買い、いつもは通り過ぎるときに横目でちらっと見るだけのベンチに腰掛ける。
 すると、あたりの草むらからほてほてと一匹の猫が歩いてきて、横にちょこんとのっかってきた。この猫、人のそばでも大丈夫なのか。ははあ、さてはエサでもくれるんじゃないかと思ってるな。残念でした。おまえにやる食べ物は無いんだな。でも猫は、いつか食べ物が出てくるとでも思っているのか、それともただこのベンチが気に入っているのか、どちらともつかない様子で隣にいる。あまりまじまじと猫なんか見たことは無いけど、こうしてそばで見てみると、何かを思案してるように見える。そのあたりを駆け回って遊んでいる二匹の子猫がいるけど、そういうのと違って、風格さえ感じる横顔だ。
 そしてなんか和む。
 よく雑誌の表紙なんかにある、ふにゃふにゃで目がまだまあるい生まれたての猫ではなくても、ほのぼのするものだな。
 缶コーヒーを開けると、猫は反応してこっちを向く。
 なんだ、缶コーヒーか。
 そんな顔をしてすぐにまわりの草むらに目を戻す。
 ホットの缶コーヒーを一口すすると、やはり落ち着く。今まで帰りに途中で一息ついたことなんか無いからな。やっぱりもやもやしたときは一度自分を落ち着かせるに限る な。そうすると今度は、道行く人々も違って見えてくるよ。
 なんと言っても、学生たちはまだまだ若いんだから、今が楽しくてしょうがない時期なんだし、そうそう悪いことなんかしやしないよ。荒れちゃったりするのもごく一部だ ろうし。
 よくニュースで警官の犯罪とかやってるけど、警官みんなが悪いことしてるわけないしね。ほとんどのお巡りさんは真面目にやってくれてるんだよ。そうじゃなきゃ日本は 今頃無法地帯になってるよ。どんな職業の人もみんなそれぞれ頑張って働いてるんだ。
 あっ、でも議員だけは別かな。あんな大勢いるのに日本がいっこうに良くならないもん。ちゃんとやってない証拠だね。聞いた話だけど、ひどいのになると、本屋で本買って、図書カードで支払いだから使った分だけ引き落とされて残額はカードに残るのに「おつりを現金で返せ」なんてわけわからないこと言ったっていうからね。それはできないって言っても、「私はゴネてるんじゃないんだ。現金で返せと言ってるだけだ」だと。十分ゴネてるよ、タコ。後で知ったらその男、市会議員だったっていう話。その名前、まだ覚えてるから出してもいいんだけどね。まあいいや。そんなこと。
 そうそう、さっきの主婦だって、いまだに出会った頃のままの元気を保っている、愛する旦那さんのために美味しい料理を作るのが毎日楽しいはずなんだ。そう考えなきゃ。

 だよね?
と横にいる猫に問いかけてみる。
 猫はこっちを見上げて、「にゃあ」
と一言。
 音としては「にゃあ」なんだけど、でもその顔は
「なんだ、わかってるじゃんか」
と言ったんだ。そう聞こえたんだよ。そしてそのままこっちを見つめている。
 まさか、きっと徹夜明けで疲れてるだけだよな。そう思ったのはほんの瞬間で、なぜか何のためらいもなく猫にこう言った。
「つまらないことを考えてたって時間の無駄だしね」
 猫は相変わらずの、全てを悟っているかのような顔でこう答えた。今度はにゃあ、というのよりも言葉の方が大きく聞こえる。
「もちろんだよ。あんたさ、あらゆることについて考えすぎだね。言っとくけど、たいていのことには、意味なんて無いよ」
 そうか。だとすると今まで、なんと膨大な時間を無駄に過ごしてきたことか。
 あれっ、でもなんでこの猫に自分の頭の中がわかるんだ?

 にゃ~う

 今度は長め。そして同時に聞こえてくる内容は
「うーん、あんたがあんまりにも考えすぎの頭で毎日毎日ここを通るから、そのたんびにその中身がこっちの頭に流れ込んでくるんだよね。何でかわからないけどね」
 そんなことが起こるのか…こき使われ過ぎた自分の妄想なのか。こっちの考えが猫に流れてたのが本当なのかどうなのかっていう前に、猫と会話してることの方が大事件の ような気もするし。
 でもそれよりも一番思うのは、課長みたいなクソったれな人間がいるかと思えば、例え妄想といえども立派な猫もいるってこと。
 前足を何回か舐めて、またじっとあたりを眺めている猫を見ながらそう考えた。
 無駄に考えて時間を使うんだったら、何か他の好きなことに時間使うべきだな。頭でああだこうだとやってるよりも、新しい世界が見えてくるかもしれないし。

「そうそう、案外、考えすぎちゃって逆に見失っちゃってるいいことがたくさんあるかもしれないよ。たいていのことは不安がることなんかないし、なんとかなっちゃうもん だよ。どうしようもないことにぶち当たったら、そのときに考えればいいんだし」
 全く異論は無い。異論が無いどころか、こちらが考えたことにすかさず猫にアドバイスされてる状況に違和感がまるで無い。
 やっぱり猫はちゃんと思考してるからこういう顔つきなのか。顔だけまじめくさってるけど、どうせ食べ物のことしか考えて無いんだ、とか思ってて今まで大変失礼しまし たっ!と心の中で激しく謝っておいた。
「まあ、気にしなくてもいいよ。食べ物のことを考えてるのも事実だし」そう言いながらあたりで戯れている子猫たちを眺めている。
「あの子たちはまだなんにも世の中の危険なことを知らないけど、年がら年中そばにひっついてたってしょうがないよ。こうやって少しだけ離れて見守って、何かあったときに駆けつければいいんだし。でも実際、毎日何事も無いよ。それでいいんじゃないかな」
「そうか、そうだね。いままで、全てに対して身構えてたし、終わったことにまで、あれでよかったかどうかとかいちいち考え過ぎてたよ」
「それはお疲れさんだね。だいたいさ、物事、正しいかどうかなんてことじゃないんだ。そんなのどうだっていいんじゃないのかな。大事なのは、あんたが気に入るか気に入らないか、だよ」
 ぴゅうっと風が吹き、落ち葉がかさかさと音をたてた。
「すっかり涼しくなってきちゃったね。君と話していたら。でもほんと、久しぶりだよ、こんなにホッとできる時間を過ごしたのは」
「それは何よりだね。またいつでも寄ってくれよ。話は聞くよ」

 再び自転車を走らせると、さっきよりも軽い力でどんどん進んでゆくような気がする。
会社帰りはいつも1日の嫌な出来事を思い出しながらだからペダルもいつも重いはずなのに。それがいけなかったのか。ヘンなことばかり考えてたからか。
 今度寄るときは、お礼として何か買ってからにしようか、などと考えながら家までの残りの道を穏やかな気持ちで進む。
 でもひょっとして、やっぱりぜんぶ妄想かな…ひとりで二人分の会話を考え出してたってわけかな…。
 いやいや、妄想でもなんでもいいや。自分にとっては事実なんだから。なんか、突然ひとり、何でも話せるいい友達ができたような気分だ。それにしても、星ってこんなに 見えるんだっけ?っていうくらいたくさんの星が見えるよ。今までいかに下ばかりを向いていたかっていうことかな。

 彼が去ったあと、猫がつぶやく。
「さっきのは妄想じゃないよ。これから、もっとたくさんの星が見られるといいね」
 風がさっきより少し強く吹き、離れた場所にあった新聞がベンチのそばまできた。猫は視線を落とし、
「あ・・・」
 険しい表情になる。
「人間社会っていうのは厄介なものだな。さっきはああ言ったけど、これについてだけはいつまでも気楽な気分でいるわけにはいかないんじゃないかな。早く何かしら動 いといた方がいいかもね。オレたちはこのあたりで今まで通りに暮らしていくつもりだけど、いつかこっちに火の粉が飛んできても困るし。うん、今度来たら話すとするかな」
 そう言いつつ鋭い目でじっと見つめているのは落ちている新聞の見出し。
「秘密保護法が成立」          

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